仕事のプロ

2017.02.13

大塚グループ各社元社長大塚正士氏のトップとしての決断〈後編〉

チャンスを転機に変えることで誕生した世界に誇る陶板名画美術館

昭和48年に起きたオイルショックは、高度経済成長を続けてきた日本経済を一変させる出来事だった。建設業界も同様で、高層ビル建設に使用する大型タイルを開発したばかりの大塚オーミ陶業株式会社は、いきなり経営危機に直面する。良い商品をつくっても物が売れなければ経営は成り立たない。この危機を脱するために、大塚正士社長が目をつけたのが「美術陶板」。この発想の転換が会社の危機を救い、やがて世界に誇る陶板名画美術館である「大塚国際美術館」の設立へとつながっていく。

逆境をチャンスに変えた
発想の転換

「工場を建設し、従業員も雇って陶板製造を始めたのが昭和48年3月。そして、これから利益を出していこうと張り切っていたところ起こったのがオイルショック。突如訪れた会社の危機は、会社全体に悲壮感をもたらし、社長と役員は相当悩んだと思います。しかし、解決策を模索する中、陶板に絵を描いて美術品にするという「美術陶板」というアイデアが提案されます。建材タイルが売れない現状を踏まえ、知恵を絞りだした苦肉の策だと思います」

とはいえ、全国的な不況で物が売れない時代に、「美術陶板」はいわば嗜好品であり、多くのニーズがあるとは思えない。そこで、大塚社長が目をつけたのが写真を陶板に転写する「肖像陶板」である。出張先のモスクワでたまたま立ち寄った墓地で見た、墓石に貼られていた色あせた写真にヒントを得、故人の写真を陶板に焼きつけることができれば、変色せずに永遠に残せる...と、一筋の光を見出し、すぐに自ら行動に移す。

「1枚1千万円もする肖像陶板は、簡単には売れません。そこで大塚社長は肖像陶板を売り込むために、自分の肖像陶板をつくり、松下電器の松下幸之助社長や鹿島建設の鹿島守之助社長など、日本を代表する企業の社長にトップセールスをしました。また、石油産出国はお金を持っているだろうと、オイルショックを逆手にとって、サウジアラビアの石油相やヨルダンの国王にも売り込みに行くなど、その行動力はすさまじいものがありました」

大塚社長は、この新事業から撤退する気は全く持っていなかった。大型陶板の商品としての絶対的な自信と一度製品を開発したら売れるまで徹底的に売るという信念、雇った社員を何としても守らなければならないという使命感があったからだ。当初の計画とは異なるが、先の見えない時代に大きな決断をし、行動したのである。

大塚国際美術館(OTSUKA MUSEUM OF ART)

大塚国際美術館は、日本に居ながらにして世界の美術を体感できる「陶板名画美術館」です。古代から現代に至る、西洋美術史を代表する名画1,000余点を、陶板で原寸大に再現し、展示しています。約4㎞におよぶ鑑賞ルートには、レオナルド・ダ・ヴィンチ『最後の晩餐』、ゴッホ『ヒマワリ』、ピカソ『ゲルニカ』など、美術書などで一度は見たことがあるような名画を一堂に展示しており、世界の美術館を味わうことができます。

文・撮影/㈱羽野編集事務所