仕事のプロ

2016.10.18

石田三成 「大一大万大吉」 

ビジネスに役立つ、戦国十傑の哲学と西洋思想〈その8〉

歴史には数々の英傑たちが存在します。ナポレオン、ガンジー、劉邦…。もちろん、日本史にも。そして、彼らが成し遂げた偉業や金言は歴史書などに記録され、今も私たちと共にあります。それは読み解かれるべきものであり、私たちの生き方に活かされるべきもの。そして、当然ビジネスの場においても、活かされるべきものなのです。私たちが活かしてこそ、初めて英傑たちは息づいてきます。信奉しているだけではNG。無数に英雄たちの言葉を入り口の一つとして紹介します。まずは戦国乱世に生きた武将たちの言葉をひもといていきましょう。

NHK大河ドラマ「真田丸」は、いまや最後のクライマックスへ向かっています。石田三成はドラマでは既に亡き人となりましたが、大半の武将の理解を得られないまま孤立していく様は私たちにメッセージを残していったと思います。彼の生き様からなにが学べるのでしょうか。
 
三成の旗印の一つに、彼の理想をデザイン化したものがあります。それが、「大一大万大吉(だいいちだいまんだいきち)」です。「一人が万人のため、万人が一人のために尽くす。そうして天下は太平になる」という意味です。天下を会社に言い換えてみましょう。「一人が全社員のため、全社員は一人のために尽くす。そうして会社は円満になる」となるでしょうか。
理屈っぽい、人望がない、そして敗戦の将。三成にまつわるこれらのイメージは多くの歴史物語に共通するもので、彼が私たちの理想とする上司であったり、リーダーであったりすることはまずないでしょう。しかし、「大一大万大吉」はどうでしょう。ここには三成の理念、私たちがいまなお大いに学ぶべき理念が現れているのではんないでしょうか。
 
では、三成からなにが学べるか…。彼の旗印を家康の「欣求浄土厭離穢土(ごんぐじょうどおんりえど)」と比べてみましょう。「欣求浄土厭離穢土」とは、「汚れた娑婆世界を離れて、清浄な浄土へ生まれ変わろう」という意味です。
 
どうでしょうか。家康のモットーはとても具体的で、その時代特有の切迫感があります。一方、三成の「大一大万大吉」は少々、理念的に過ぎるようですが、それだけに普遍的な、いまでも十分に通用する理想になっています。
 
ここで、注意しなければならないことがあります。理念は勝つためにあるのではありません。理念とは、成果ではなく経過によって評価されるべきものなのです。
合理的に判断すれば負けは濃厚、そんな瀬戸際にいながら、どうしても果たさなければならない責務があるとしたら…。頭脳明晰な三成ですから、どう考えても筋違いの選択とわかっていたはず。けれど、彼はそんな選択を敢えてしなければならなかった。この選択が三成自身のものではなく、豊臣秀吉の思いを汲んだがゆえと考えれば、彼の孤立を魅力のなさだけで片付けられるでしょうか。
 
私たちはどうでしょうか。成果を無視して、失敗が明らかに予測される選択肢を取ることができるでしょうか。知らぬふりをできない声を聞いてしまった、そのとき自分の予想とはまったく真逆の道、目標地点には到達できないかもしれない、そんな道を私たちは選べるでしょうか。
 
フランスにも負け続けた大将軍がいました。ラ・ロシュフコー公爵フランソワ六世です。三成が死亡してほぼ10年後に誕生したラ・ロシュフコーは、その言動や風格から男女を問わず人々を惹きつけていたそうです。顔面に大怪我を負いながらも幸い命を取り留め、戦場から身を引いた彼が『箴言集』にこんな言葉を残しています。
「人々は自分の手柄を自慢するが、そんなものは偉大な計画の結果ではなく、偶然の仕業に過ぎない」
 
すべての結果が「偶然」のせいにされては、反省も前進もなくなってしまうでしょう。もちろん彼は企図や合理性も重視しています。しかし、彼はこの格言で、理性以上になにかを重視しています。それは、私たち日本人にとって馴染み深い「志」なのです。
「智慧の豊かな人物は、何から何まで理解し、目先の小利に影響されない」
まさにこれが、三成の立志に当てはまるのではないでしょうか。
 
ラ・ロシュフコーと三成の違いは、その柔軟性で明らかになります。三成は自分の理念とともに死ぬことを選びました。その結果、三成の志「大一大万大吉」は勝者によって恣意的に隠蔽され、長い間忘れ去られていました。一方、ラ・ロシュフコーは潔く戦場を去り、多彩な能力を別のフィールドで発揮します。その分、彼の理想もまた忘れ去られることなく後世に残ったのでしょう。
 
一端は忘れ去られた三成の志「大一大万大吉」も再認識され、私たちに語りかけてきます。「大一大万大吉」とは、達成すべき目標ではなく、他者の声に耳を傾け、それに導かれた同志たちが共有できる理念、志を同じくする者が心のよりどころとする理念なのではないでしょうか。
 
理念と成果は別問題です。結果よりも理念を重んじる人物がいてもいいではないですか。身体が無くなっても理念は無くなりません。理念は到達するべきものではなく目指すもの、ただ目指すものなのでしょう。私たちも、いつかきっと「大一大万大吉」が成就されることを目指して…。

大竹 稽 (Ootake Kei)

作家・モラリスト。十六世紀から十七世紀にかけてフランスで活躍したモラリスト(モンテーニュ、パスカルら)が主な研究対象。これまでの論文のテーマは、サルトル、ニーチェ、バタイユなど。「自己」と「生死」についての究明が生涯の課題である。世田谷区の九品仏で親子向けの哲学道場を開いている。

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