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2016.07.29

黒田官兵衛 「水の如く」

ビジネスに役立つ、戦国十傑の哲学と西洋思想〈その3〉

歴史には数々の英傑たちが存在します。ナポレオン、ガンジー、劉邦…。もちろん、日本史にも。そして、彼らが成し遂げた偉業や金言は歴史書などに記録され、今も私たちと共にあります。それは読み解かれるべきものであり、私たちの生き方に活かされるべきもの。そして、当然ビジネスの場においても、活かされるべきものなのです。私たちが活かしてこそ、初めて英傑たちは息づいてきます。信奉しているだけではNG。無数に英雄たちの言葉を入り口の一つとして紹介します。まずは戦国乱世に生きた武将たちの言葉をひもといていきましょう。

『軍師官兵衛』。放送されたのは二年前になりますが、このNHK大河ドラマをご覧になっていた方も多くいらっしゃるでしょう。「その気になったら天下を取るであろう」と秀吉に言わしめた傑物ですね。
そんな官兵衛の影響でしょうか、このドラマをきっかけに日本史を学び直している友人が多くいます。
 
さて、今回は「水の如く」です。
もちろん官兵衛の別の名である黒田如水から拝借しております。
 
官兵衛は動乱の世の中で「水の如く」あろうとしたのでしょう。
 
水、そして川や海には、わたしたち(特に日本人)の感性を刺激するなにかがあるようです。
それってなんでしょう?
 
淡々としてこだわりのない様子。
昔から水は時の流れの例えとして詠まれています。
 
方丈記の全編を読まれていない方でも、冒頭の「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」は
耳にしたことがあるのではないでしょう。
諸行無常、世のはかなさとその尊さが、「川」によって表現されています。
 
一方で、水には力強い面もあります。
 
禅宗の僧侶がしばしば口にする「水五則(みずごそく)」なるものがあります。
「水の如し」を生きた如水こと官兵衛、彼が作ったとする説がありますが、
水というものを通して、人間としての生き方を教えてくれる言葉です。
 
その第二則に
「つねに己の進む道を求めてやまざるは水なり」と、あります。
己を鍛え、磨き、徹底的に究明しようとする禅宗らしい一節ですね。
 
この水五則が官兵衛の手によるものかどうか、その真否はさておき、英雄譚で獅子奮迅する官兵衛は、
第一則「自ら活動して他を動かしむるは水なり」の権化と言えるでしょう。
 
彼の辞世の句を紹介しましょう。
「おもひをく言の葉なくてつゐに行く道は迷よわしなるにまかせて」
 
現代語表記に直しますとこうなります。
「思い置く言の葉なくてついに行く、道は迷わじなるにまかせて」
死にゆく者が己を振り返りつつ、その生を凝縮させた「なるにまかせて」
これこそ「水の如く」の真骨頂なのではないでしょうか。
 
こうした辞世の句には偉人たちの人生哲学がにじみ出ているのでしょう。
では官兵衛の人生からわたしたちは何を学べるのか?
 
「なるにまかせて」には、諦めが読み取れることは確かです。
が、反対の面も見逃せません。
あらゆるものを経験し、己を貫いた力強さです。
 
「自ら活動して他を動かしむるは水なり」を徹底したからこそ、
「なるにまかせて」の境地に達することができたのではないでしょうか。
 
夏目漱石の言葉を借りれば、
「則天去私(そくてんきょし)」になるかもしれません。
 
運を天に任すとは、全力を出し切ること、分け隔てなくみなに誠実であることと表裏一体なのです。
諦めるとは、そもそも「明らめる」こと。
己の究明には、歯を食いしばりながら貫く意志の強さが求められます。
 
水に意志はありません。
しかし官兵衛を始めとする偉人たちには、水のような意志があったのでしょうね。
 
最後に「水五則」からもう一つ紹介しましょう。
「自ら清くして他の汚れを洗い、清濁併せ容るるの量あるは水なり」
 
「水五則」
一.「自ら活動して他を動かしむるは水なり」
二.「常に己の進路を求めて止まざるは水なり」
三.「障害にあい激しく其の勢力を百倍し得るは水なり」
四.「自ら潔うして他の汚れを洗い清濁併せて容るるの量あるは水なり」
五.「洋々として大洋を充たし発しては蒸気となり雲となり雨となり雪と変じ霞と化して凝っては玲瓏たる鏡となり而も其性を失はざるは水なり」

大竹 稽 (Ootake Kei)

作家・モラリスト。十六世紀から十七世紀にかけてフランスで活躍したモラリスト(モンテーニュ、パスカルら)が主な研究対象。これまでの論文のテーマは、サルトル、ニーチェ、バタイユなど。「自己」と「生死」についての究明が生涯の課題である。世田谷区の九品仏で親子向けの哲学道場を開いている。

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