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2016.12.12

本多忠勝 「名槍蜻蛉切」

ビジネスに役立つ、戦国十傑の哲学と西洋思想〈その10〉

歴史には数々の英傑たちが存在します。ナポレオン、ガンジー、劉邦…。もちろん、日本史にも。そして、彼らが成し遂げた偉業や金言は歴史書などに記録され、今も私たちと共にあります。それは読み解かれるべきものであり、私たちの生き方に活かされるべきもの。そして、当然ビジネスの場においても、活かされるべきものなのです。私たちが活かしてこそ、初めて英傑たちは息づいてきます。信奉しているだけではNG。無数に英雄たちの言葉を入り口の一つとして紹介します。まずは戦国乱世に生きた武将たちの言葉をひもといていきましょう。

大河ドラマ『真田丸』も終盤を迎えています。この連載は徳川家康から始まり、徳川四天王の一人、本多忠勝で終わります。主人から忠勝への信頼たるや抜群のものであり、戦場で一度たりとも、かすり傷すら負ったことのないという豪傑です。そんな忠勝は、民衆からは「家康に過ぎたるもの二つあり、唐の頭(兜の飾り物)に本多平八(忠勝)」と、織田信長からは「花実兼備」、つまり花も実もある武将と讃えられました。花とは外見、実とは中身なのでしょう。
 
そんな忠勝の持ち物の一つに蜻蛉切(とんぼきり)があります。槍の穂先に触れたトンボが真っ二つに切れてしまったことからこの名称がついたそうです。彼はこの槍を縦横無尽に奮いながら戦場を駆け巡りました。忠勝といえば蜻蛉切、蜻蛉切といえば忠勝なのでしょう、蜻蛉切を扱えたのはただ一人、忠勝のみ。そして、忠勝が「家康に過ぎたるもの」となれたのも、蜻蛉切があればこそだったのでしょう。
 
さて、忠勝と蜻蛉切は、お互いがお互いに掛け替えのないものだったのでしょう。一方、わたしたちにも各々、掛け替えのないものがありそうです。それはどのようなものでしょうか。そのためには、「持ちもの」から紐解いていくと良さそうです。
 
人をものに喩えることはできないものの、日常的には「家族を持っている」「部下を持っている」と言い習わしています。財産としてもいろいろありますね。土地、家、車など。また、才能を持っている、〇〇な性格を持っている、〇〇と関係を持つなどともいいますね。これらの「持ちもの」は、多くの場合、外見の評価につながるものと中身の評価につながるものに二分されます。家や車や宝飾品などは外見、才能や性格は中身に関わるといえるでしょう。大抵私たちは外見よりも中身を重んじます。中は空っぽ、才能は凡凡なのに、外見だけ飾っている人たちは、「張り子の虎」と非難されます。「虎の威を借る狐」を思い出される方も多いでしょう。
 
日本では虎と狐ですが、西洋ではこれがライオンとロバに代わります。イソップ寓話に「ライオンの皮をかぶったロバ」という話があります。
ロバがライオンの皮をかぶって動物たちを震え上がらせていました。狐が出てきたので、こいつも驚かせてやろうとしてライオンのふりをして声を出してみましたが、狐はロバの声を聞いたことがあったため、「お前が嘶かなかったらオレもビックリしただろうよ」と、騙されませんでした。“外見を隠して騙せたつもりでも、言葉で本性が現れる”という教訓です。
 
古今東西、同じような話があるのは興味深いところです。ロバはライオンにはけっしてなれません。なぜならロバにはロバの力しか備わっていないからです。
ライオンの咆哮まで真似できたら?
いやいや、そうだとしても、ライオンの速力、腕力を真似できるでしょうか?
でも、もしかしたら、できるかも…?
ライオンが肉食というところもロバは真似できる…かも?
そんな風に、「もしかしたら」とか、「かも」と想像しても結局は想像。どこまでいっても、不相応な力は使いこなせないものです。
 
槍を扱った経験のある方は少ないと思いますが、とにかく重い。そんな槍は、自分に合うのを使わなければ、反対にこちらが怪我をします。重すぎても軽すぎても、長すぎても短すぎてもダメ、それぞれの力に相応しているものでなければなりません。いわば、槍は自分の才能の写し鏡。格好つけて蜻蛉切を持ったところで、忠勝以外の人間にはあだとなるでしょう。蜻蛉切を「持つ」だけでなく、蜻蛉切を「活かす」ことができなければなりません。いや、「活かす」だけでは不十分ですね。忠勝は蜻蛉切を活かし、蜻蛉切は忠勝を活かしている。つまり両者は「活かし合っている」のです。
 
「掛け替えのなさ」とは、一方的な依存状態ではありません。お互いがお互いを活かし合って初めて成立するのですね。「家康に過ぎたるもの二つあり、唐の頭に本多平八(忠勝)」、冒頭で紹介したこの落首には民衆の感想が現れています。忠勝と家康が活かし合っていないように見えたのかもしれません。忠勝からすると賞賛になりますが、家康側から見ると彼を揶揄するものになってしまいます。私たちはどうでしょうか。「持ちもの」の列挙には事欠きません。しかし「活かし合っているもの」をどれくらい数えられるでしょうか。
 
人間誰しも、「花も実もある」人になりたいものですが、「花も実もある」とは、花と実がそれぞれ相応しているものです。桃の花から梨の実はなりません。どんな立派な桃の木であっても、平々凡々は梨の実がなることはけっしてないのです。
忠勝と蜻蛉切も相応しているものでした。相応とは「活かし合い」なのです。「持つ」のではなく「活かす」ことが重要なのです。
 
「活かし合う」ことのない関係は、古来よりこんな風に言われていました、「豚に真珠」。忠勝の蜻蛉切は、真珠で着飾ろうとする豚の虚栄心を両断してくれることでしょう。

大竹 稽 (Ootake Kei)

作家・モラリスト。十六世紀から十七世紀にかけてフランスで活躍したモラリスト(モンテーニュ、パスカルら)が主な研究対象。これまでの論文のテーマは、サルトル、ニーチェ、バタイユなど。「自己」と「生死」についての究明が生涯の課題である。世田谷区の九品仏で親子向けの哲学道場を開いている。

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